母のようにはならない、と決めていた。
すえながひとみ です。
福岡でセッションのあと、
夕方の飛行機で東京に来ました。
しばらくこちらで過ごします^^
さて、
人ってそれぞれ育った環境が違います。
家族の数だけ違いがある。
何もかも同じ、っていう家族は1つもありません。
自分の親が「当たり前」にしてることは、自分にとっても当たり前だし、
自分の親が「正しくない」っていうことは、自分にとっても正しくないことになる。
目玉焼きには醤油!、っていう家庭で育てば、
自分も目玉焼きには醤油をかける。
ソースをかけてる人なんて見たら、ビックリしちゃう。
人の価値は職業や家柄で決まる、っていう家庭で育てば、
自分も職業や家柄やステイタスで人の価値を判断したりする。
女は料理上手でなくちゃダメ!、っていう家庭で育てば、
料理が得意じゃないと「私は女として価値がない」と感じたりする。
人との関わり方
出来事に対する考え方
恋愛観、結婚観、仕事観…
親が「正しい」としてたことが、
いつの間にか自分にとっての「正しさ」になる仕組み。
もちろん、
子どもの頃にそうやって過ごしたとしても、
学校で友達ができたり、
大人になって社会にでていろんな人と関わっていく中で、
親が言ってた「正しさ」を「なんか違う気がする」と思うこともでてきます。
ただ、頭では違うとわかっていても、
ココロが「OK」って言わないことも多い。
たとえば、
「先ず、相手のことを考えなくちゃいけないよ」
と親が言っていたのなら、
自分を抑えてガマンしてでも相手を優先にしないと、ココロがザワつくかもしれん。
自分の好きなことをしようとすると、
ココロが「OK」と言わないので、罪悪感 を感じたりもする。
自分にとって、
損する方やキツい方を選んだ方が気がラク なんですね。
なぜかいつも、
損な役回りになってたり、
人からないがしろに扱われてりして
「私ばっかり、なんでこうなるんだろ?」
ってウジウジ悩んでる人には、
こうやって自分で引き寄せてる人もたくさんいます。
幸せを選ぼうとすると罪悪感を感じるんだから、
幸せになれんのは当たり前^^;
自分で幸せになるのを拒否する<ココロのクセ>です。
わたしの母は、↑のような「相手が優先」な人です。
その母を見て育ったわたしは
「お母さんみたいにはならない!」と決めていましたが…
気がついたら、
母のように<ガマンが当たり前の女>になっていて、
(もちろん、母のステキな面も似てるようです^^)
気がついたら
父のような<自分勝手な男>をつくってた。笑
(父は優しいところもあります…)
わたしは「母とは似てない!」と思っていたのに、
ばり似とぉやん!(←博多弁で「とても似てる!」)と気づいたときは笑えました…。
つづきは→ こちら。